建築に生きる

/img/mokei1.jpg「船乗りか設計士になれ。」
新聞社に勤めていた父が、幼い僕に幾度か言っていた言葉です。

父の兄弟は事業家や医者、上場企業の幹部社員など、学歴と向上心、そしていくらかの才能を兼ね備えた者が多く、その血筋は(僕以外の?)子供たちへも遺伝したようです。
高度成長期を支えた父たちの時代を考えれば、そして長崎という土地柄、父の兄弟の境遇を考えれば、父が言っていた言葉は、理にかなったものといえるでしょう。

実際、学生時代に船乗りの勉強をして現在は建築設計の仕事をしている僕は、父の言いつけを守ったかのようにみえますが、現実はまったく違います。
当時の父は経済的に豊かになる方法としての職業を言っていたし、発展著しい重工業を支える技術者のことを言っていました。

そんな父は僕が中学生のときに亡くなり、もう「船乗りか設計士」と僕に言う人はいなくなりました。

上京して叔父が経営するグループの子会社である内装工事店で働き始めた僕は、どうしても建築の本質が知りたくなり、新宿の設計事務所へ移りました。
仕事は全国津々浦々、夜遅くまで続きましたが、日々新しい知識や技術を勉強する毎日には充実感があって、この仕事を選んだことへの喜びを噛み締めることになったわけです。

しばらくして長崎にいる母が体調を崩したとき、妻と一緒に故郷へ帰る決心をしました。
地元長崎での仕事はそれまでに比べ、お客様や工事店さんとの距離がとても近くなり、設計にもコミュニケーションが大切だと実感するようになりました。

その後は素晴らしい人間関係に囲まれて現在の僕があるわけですが、亡くなってしまった父に、僕の仕事を見せれないことはいつも残念に思います。